初心者的ぼーびろく

沼にはめられた20歳女子 @kiminoseidatta

KinKi Kidsというシンメトリーあるいは二人ぼっちについて

この二人がよくも悪くも運命だなんてこと、ファンならわかっていると思う。
二人をシンメと呼んでもいいのかはまだ判断に迷うけれど、二人ぼっちの彼らについて考えておきたい。

同じ堂本という名字、早生まれの光一さんと遅生まれの剛さんで同じ年の生まれだけど学年は一つ違う、100日違いの産まれ、関西出身、二人とも上に姉がいる、同じ時期に事務所に応募される、最初から二人セットで出会い、ジャニーズのオーディションなしにそのままアイドル街道をかけ上る。

奇跡の連続すぎる、設定盛りすぎ。
私は二次元にしか生きてこなかったから、これが現実であることを理解できなかった。
何がすごいって、これはむしろ、二次元では絶対にできないと思う。あまりにも設定を盛りすぎている。こんな二人をマンガに登場させようものなら多分、ご都合主義、腐媚だと叩かれるとおもう。

これが現実にあって、二人ともタイプの違うイケメンだっていうんだから世の中すごい。現実は小説より奇なり。

もう少し掘り下げると私はこの二人の誕生日の差が100日ってところがとても好き。10の二乗。ルートできちんと割りきれるのってすごいキレイ。さすが、って感じなんだけれどこの人たち数字に対して持ってる。
数字の流れで話をすると、"2"ってすごいいい数だと思う。1はなににでもなれるけど、なににでもない。2は素数であり、なににもなれるし、確固たるものを持つ。2という数は強い。


光一さんのほうが少しだけお兄さんだったってところも二人が歩んできたこれまでを振り返ると、とてもいい作用をしたんじゃないかと思う。剛さんのご病気については実際見たことないから、なにも言えないけど。ただ、友人を支えきれなかった私から見ると光一さんはすごい強い人だと思うし、懐が広いんだと思う。

これは完全に私情なんだけど、剛さんがパニック障害を公表してくれたお陰で友人の説明がしやすくなってとても助かった。誰だかわかってなかったし、調べる余裕もなかったけどありがたかった。芸能人ってすごい。でも、あんなものを発症させてしまう芸能界怖いね。

話を戻す。最初期の映像とか話を聞くと剛さんが話していることが多い。光一さんはその後ろですげえなぁみたいな感じで笑っている。活躍する弟をみるお兄ちゃんみたいな、でもその目って、本来あの年の近さの兄弟で、高校生は持ち得ないものだし、対抗心の強い反抗期~思春期の男の子がする目じゃ中々ないと思う。
精神的にも金銭的にも余裕のあるご家庭で育ったんだな、ということがみてとれるお顔立ちを昔からしていたけれど、二人とも芸能界という世界を少しずつ冷たい目で見ていたんだと思う。
対抗手段が、光一さんは自らを出さず、笑って誤魔化す、剛さんはがっつり仮面を被ってアイドルらしい人になりきる。それぞれだった。まあそれで剛さんは耐えきれなくなってしまったみたいだけれど。
作詞を見ると、剛さんはとてもやわらかい人なんだな、光一さんは強い歌詞が多く、ここでも対比になるのかと思う。

私がお二人をシンメと呼んでいいのか迷うのはここだ。二人はあまりにも凸凹なのだ。身長は同じくらいで、顔のタイプは違うけれどイケメンで、でも分かりやすく凸凹。ジャニーズにおけるシンメは普通のシンメトリーとはすこし定義が変わっているらしいのでそのあたりから確認したい。
踊る際に左右対称のフォーメーションをとるパートナー、そしてそのままセット売りされていく共同体のようなものだと広義的に定義する。
ここの難しいところはセット売りと共同体と成立時期だと思う。

シンメという用語が成立したのはいつ頃なのか。知識の浅い私でも知っているシンメ、剛健(学校へ行こうのおかげ)二人はここよりも先の入所の上、初めから一緒だったのだからここより先に成立はしているはずだ。遡ると光GENJIあたりからシンメみたいなものは存在していたらしい。
剛健はシンメという意識が今でもつよい。ではなぜ同じ世代であるふたりなのに差があるのか。それは多分KinKi Kidsとして二人ぼっちで組んでいて、合宿所には色んな先輩も後輩もいて、けど、結局、ふたりぼっちでデビューしてしまったからなんだと思う。だってわざわざデュオをシンメなんて言わないだろうし、あの二人はニコイチがいつの間にか当たり前にされていたから。(タキツバという後輩がいるけど二人ともデビューまでシンメが中々定着しなかったことがあるから今でも言われているのかな。あと仲良しアピールをきちんとしてくれているところ?)あとはグループとして売り出され、その中でやるからどうしてもグループ内の関係に収束される。
だからこそ、グループ内になっても、一緒に競り合ってくれる方々を、もう一緒じゃなくなって伝説となっても、シンメと呼ぶんじゃないかな。
だからこそ、二人はふたりぼっちであるから、シンメとは呼んでいいのか少し疑問なんだ。あと、わざわざ言う必要もなかろう?ってファンが思っているから。
共同体に関しては、シンメじゃなくてデュオだからともとれるし、セット売りは二人が持ってきた設定盛りすぎな奇跡があるから……。
シンメって凸凹だったり背中合わせだったり向かい合ってたり色々な形があると思うけど、だからお互い支えあえるんだと思う。

個人的にふたりはあんまりシンメって感じがしてない。
そもそもなんでそんなシンメにこだわるのかってところなんだけど、結局は業なんだよ。うん。

調べているうちに、ftrはあまりシンメ扱いされていないのかってことが気になって考えてしまった。
2人ってグループより難しいと思う。ひとりやめたら解散、距離が近すぎると何かあったときに取り返しがつかなくなる、遠すぎると解散説に翻弄される、だからこそ普段は近からず遠からずそう演出しているのかなと思う。ブンブブーンが演技演出なら二人に演技力で誰も勝てない。

私は運命論者だからこの関係すごい好き。
中居さんが「ステージの上で二人一緒に死んでほしい」なる発言をしている(2004年)けどそれほど二人は一緒って意識が強かったはず。この発言古いけど、すごいときめく。よくも悪くもふたりに"死"って似合う。歌声のトーンもあるし、これまでの彼らが歩んできた道のりもあると思うけど、二人だからこそ似合う。でもそこまでされたらただの二次元になってしまうから普通に長生きして、お願いだから。

個人的にふたりに思ったことは(だいぶ不謹慎だけど)死んだあとに24hTVのドラマになりそうってこと。絶対にやめてほしい。
彼らに与えられた奇跡と困難と試練が多すぎる。美談にしようと思えばいくらでもできる。それをしないのが二人(どちらかといえば光一さんの傾向が強い。支えた側だからかな)。これってやっぱり芯が強くないとできない。

運命論者だから、神様がふたりに与えた奇跡も多いけど、与えた困難も相応にあるんだと勝手に思っている。あと多分ふたりで十字路で神様と待ち合わせしたよ。ってくらいftrってすごい。すごい。